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日々あったことなんかを適当に書いてきます。そんなに頻繁に更新はしないです。 

日常の出来事

私たちが日々過ごしている中での日常の出来事は意識しなければどんなに不可解なことであったり、理不尽なことでもすぐに忘れてしまうのが常だろう。

そんななか今日あった出来事。
印象的でしかもいろいろと創造が掻き立てられる出来事だったのでせっかくなので書きとめておく。


毎週水曜日は会社のノー残業デーということもあり今日は定時で帰宅し妻子とともに近所のスーパーマーケットに行きました。
スーパーの入り口の前にはたい焼きだったかたこ焼き屋の移動販売車がいて買い物客が品物を受け取っているところでした。
これは何てことのない日常の出来ごと。

そうどこにでもある「普通」の光景でした。

買い物も終わり車に向かう途中に移動販売車の横を来たとき同様にとおることになったのですが、そのときにたまたま販売員の声が出かかったので客との会話が自然に耳に入ってきました。





販売員: お嬢ちゃん宿題終わった?

少女: ほとんどね。 学校でやってきたから。 ちょっとだけ残っているけど。

販売員: 勉強ちゃんとやらないとね。




ここまでの会話は何てことのない フツー の会話だった。
まぁ 初対面同士の大人と小学生ならありがちなパターン化されたやり取りだろう。

私の興味をそそったのは正にこのあと



販売員: ちゃんと勉強せんと俺らみたいになっちゃうよ


私の意識は完全に販売員の発した言葉に吸われてしまった。

少女は何と返答していいかわからないような状況で会話はここで途切れた。

ここまでのやり取りほんの10秒程度のことで、私自身車にのって帰宅の途についたのだが。
頭から離れず思わず信号待ちの間にこの出来事を忘れまいといつも持ち歩いているノートにメモってしまったほどだ。



「ちゃんと勉強せんと俺らみたいになっちゃうよ」


すごく意味深ではないですか?

大の大人が小学生に向かって発したこの言葉にはどのような意味を持たせ、そして少女に何を伝え、どのような反応を期待していたのか??

まず「ちゃんと勉強せんと」 
少女がちゃんと勉強していないとでも思ったのだろうか?
少女は宿題をほとんど学校でやり終えたと言っていたので出された課題は「ちゃんと」こなしている。
まぁ 100歩譲ってここは少女に対する大人からの経験を基にしたアドバイスだったとうけとろう。

次に「俺らみたいに」

「俺ら」っていったい誰のことなのか?
販売員は1人しかいなかったため「ら」の部分に関してはその場にいた周囲のひとか、または販売員の頭のイメージにいる別の人物なのか、はたまた大人全般を指すのか?
いずれにしても複数形で扱った点は非常に興味深い

極み付けは「俺らみたいになっちゃうよ」
少女に対して何を伝えたいのかさっぱり意味不明である。

もともとは少女に対して宿題したかどうかという問いかけだったのだが、最終的に勉強ちゃんとせんと俺らみたいになるということを忠告していたのである。

ここで疑問なのが「俺らみたいに」という部分だがこれは先にも触れたが対象が何かによって解釈が変わるところだが、ここでは仮に食品移動販売車の販売員という枠組みで考えてみることにした。かなり一方的な解釈になるため本当かどうかはさておき、その時の状況、販売員の仕事など総合的に判断してこれが一番適当なのではないかと考えた。

「俺らみたいになっちゃうよ」という言葉の意味を考えた場合ポジティブかネガティブかというとどちらかというとネガティブの要素がつよいため販売員は移動販売の仕事に対して何かしらのネガティブな感情を抱いているのではないかと想定される。
または本人が望んだ人生を送れていないという負の感情が言葉に出たのかもしれない。

つまり日ごろから心の奥にモヤモヤとしていたものがなんかの拍子にぽろっと出ただけととらえられる。

たとえば普段から旦那に不満を抱く妻がなんかの小さいきっかけであれも、これもといったように本人の中では関連されることがあふれ出す現象のように。

この路線でもう少し深堀すると、販売員が子供だったころ当時は大人になってからどんなことをやっているかなんか創造はできるけど予知することはできなかった。当時はそれでいいと思って、自分なりに頑張っていたけどいざ大人になってみたらもっと勉強しとけば別の人生になっていたかも、もしくはなっていたのになぁという後悔の念があり、どうせ子供には言ってもわかんねぇよな、でも大人になったら俺みたいに後悔するぜという意味を含めていたのではなかろうか。

だとしたらなんと想像力の乏しい狭い考え方なんだろうと勝手に私は想像してしまった。

このような意味を含む忠告のようなアドバイスのような会話の潤滑剤にもならなければ何の意味もなさずむしろ発言者の一方的な「ドヤつき」で終わるような会話はなんとなく日常にありふれているような気がする。

たとえば新婚の後輩に対して「地獄へようこそ」だとか「仲いいのも今のうち」だとか。
禁煙しようとしている人にたいして「いつまでもつかな」とか

正直他人にはどうでもいいことなんだけども、さも経験者は語るかのような口調でネガティブ方面にもっていこうとするのである。

なんかこれって人の心理的にある種の思考パターンだったりがあるのかもしれない。
ちょっと気になるのでこの点について引き続き調査してみたいと思っている。






そして、自分は少しでもポジティブな会話へもっていこうと思った次第である。